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melomys「ドリームタイム」を観て。 

/山縣太一

 

 

​写真=コムラマイ

ワイキキスタジオで上演された田崎小春さんのひとり芝居を二回観た。素直に綺麗な作品だと思った。

自分で書いて稽古して公演を行う。小さなはじまりが大きな連なりをうねりを起こして表現に向かっている。非常に好感が持てた。自身の紹介からはじまる今作は作者の身体から五メートルくらいにある物や事でスタートする。ここじゃなくそこ。あそこ。向こう。を観てる側に想像させながら演者と客席の時計は同一化していく。他者を描くときに作者は非常に臆病になる。描写を丁寧に書き伝えるわりに他者を忠実に自身の身体から離した状態でキープしている。この部分に作者であり演者である彼女のこだわり。演技という不確かなことへの疑念を強く感じる。まず疑いはとても正しい。健やかな創作過程において自分自身を疑い自身の表現を疑う。この作業が独自の表現を生む。まだ作者が自分自身の表現方法について明確な指針と四肢を持っていない。ただしこのように肋骨を診せるような創作作品を僕は何十年も観ていなかった。この作品に触れてよかった。自分自身にとって。大変だろうけど作り続けてほしい。最大限の敬意を。

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