melomys『ドリームタイム』劇評
「2日目、6時間で約70ml出血する体で」
丘田ミイ子(文筆家)

写真=コムラマイ
かれこれ25年、血のついた衣類を定期的に洗っている。
と、いざ文字にすると、何やらとても物騒な生い立ちや暮らしを想像されるかもしれないが、そんなことはない。月に1度、期間は7日間前後、股から一定量の血を流す女性にとってはまま起こり得ることである。ついでに言うと、血液はたんぱく質汚れ。湯では落ちにくいので水で洗う。実際、このことをどのくらいの男性が知っているかは分からないが、多分女性の方が早く知るはず、というか知らざるを得ないはずで、恐らく割合としても多いのではないかと思う。つまり「経血のついたショーツやシーツを洗う必要がある」か否か、という意味合いで。これは、同性あるいは異性の友人ともしばしば話すことでもあるが、こうしたバイオリズムの違いが「タンパク質汚れは水で落とす」という一つの知識の周知差に繋がっていく、というのはつくづく興味深いものだと感じる。もちろんこれは一例であって、他にも性差による知識や周知のムラというのは存在するはずだ。
そして、そうしたことは作品を見る視点にも影響を与えていく。
melomys『ドリームタイム』(作・演出・出演:田崎小春)を観て、私はつくづくそれを実感した。
1日目、就寝時につき計測不可能
2日目、外出時約6時間で約70ml
3日目、外出時約5時間で約40ml
4日目、外出時約3時間で約10ml
突然申し訳ないが、これは、月経時の私のおおよその出血量(一部)である。
よくよく考えると、25年も血のついた衣類を洗っているのにもかかわらず、私は自分の経血量をおおよそでも把握したことがない、ということにまず気がついた。なのに、生理用ナプキンを選ぶ際には「多い日夜用」とか「少なめ昼用」とかを適宜選んでいるわけで、何を以てしてそれを決めているかというと、体感と統計でしかないのである。「2日目の夜だし」なんて思って、オムツ型ナプキンを装着し「さあどこからでもかかってこい!」とスタンバイしたところで、就寝時に私から放出された経血は私の知らぬまにコットンに全吸収され、「朝まで熟睡」の謳い文句をそのまま実現するかのように翌朝にはただの赤茶のシミになっている。これを読んでいる、とくに男性の方には「じゃあ何を使ってどうやって図ったの?」という疑問が湧いてくるかもしれない。
それこそが、melomys『ドリームタイム』に登場した月経カップである。
『ドリームタイム』は、少なくとも私がこれまで観劇した演劇作品の中で初めて「月経カップ」が登場した演劇だった。それも極めて重要なシーンで。
私はそのことに焦点を当ててこの文章を綴りたい。
このテーマで書くのであれば、「月経」とそれをめぐるあれこれにもそれなりの文字数を割きたい、という私の意向もあり、前段も少し長く設けさせてもらった。「月経」という生理現象が、人間史であり、生活史であり、そして人類史の一端でもあった本作にどう結びついているのか。私なりに感じたことを伝えられたらと思う。
「田崎小春です。私は1991年11月13日に福岡で産まれたそうです。産まれるとき首に臍の緒が巻きついてなかなか出てこなかったらしく、それで帝王切開が必要だと判断されて、でもその準備の最中に出てきたそうです」
『ドリームタイム』は田崎小春の出生時のエピソードを語るこんな言葉から始まる。
つまり、この作品はそもそもが「月経」とも大いに関係のある「出産」から始まっている、とも言えるのだが、その後にはこんな言葉が続く。
「ネズミの一種であるブランブル・ケイ・メロミスはオーストラリア北部にあるサンゴ礁でできた小さな島 に生息していたそうですが、2019年に絶滅が認定されました。気候変動によって海面が上昇し、高波が繰り返し島を襲ったことで、巣や餌となる植物が失われて、その環境に適応できず、絶滅に至ったと考えられています。人間の活動による気候変動の影響で哺乳類が絶滅したのは初めてでした」
その後、舞台は田崎の自宅へ。玄関から順を追って家の中の説明が始まり、どこに何が置いてあるかが語られ、どんな生活を送っているかが想像させられる。その後も、家の近くの公園、満員電車の中、美術モデルのバイト先…と生活圏内を移動しながら、言葉と身体の「語り」は続いていく。時折カットインする「夢」での描写がまた不思議と「生」の実感を確かなものに感じさせる。壁に入ったり抜けたり、空を飛んだり、小学生の頃飼っていたハムスター、癌で亡くなったおじいちゃん、不登校だった友達と一緒にいるはずのない人が一緒にいること。現実味のない風景であればあるだけ、なぜかとても生々しく思うような。そんな不思議な体感になりながら、私はとにかく田崎の四肢の行方を、言葉と言葉の継ぎ目、その呼吸の行く先を追いかけるように目の前の身体と言葉を見つめるほかなかった。そのある種の反復はなんだか、続ければ続けるだけそれこそがなんだか夢のようだった。今この風景が私の夢に出てきているようでもあったし、私の方が夢の中に迷い込んだようでもあった。それは「語り」に取り込まれていくことで発生した浮遊感とも言い換えられる気がする。座っているソファの中にざぶんと沈み込み、そしてそのまま空間にころんと放り出されるような。「言葉が宙に浮いている」という感触がやがて、「言葉で宙を浮いている」という体感に繋がるような。そして目の前の田崎の身体こそがその見本であるような。そんな不思議な心地があった。夢の中で空を飛んでいる時って、ちょっとこういう感じに似ているなと思ったりもして…。『ドリームタイム』は内容だけではなく、体験も含んだタイトルなのかもしれない。そんな風に思った。
しかし「夢」心地だけでは決して済まないところが、私が本作に感じた最たる魅力であった。
一人の人間の「生活」と「夢」を往来しながら、その時間には、空間には終始ネズミの気配がある。あまりに現実的な生と死の対比がある。冒頭で自身の誕生とブランブル・ケイ・メロミスの絶滅が並行して語られていること自体が、すでにその重要性を真っ先に語っているとも言えるが、他にも、自宅の天袋の方から時々ネズミの足音がすることや、ネズミには10個のおっぱいがあり、たくさんの子どもを同時に育てることができること、性別が決まる前にできたその乳首は淘汰されず、雌雄どちらにも残ることなどが要所要所で語られる。それはまるで、日々を生き長らえる人間とそうはいかない動物、持続する生命と持続しない生命のコントラストを絶えず示しているようでもあった。
その中で最も印象深かったのが、例の月経カップの登場するシーンである。
そのシーンはネズミの駆除依頼と同時に進行された。自宅の天袋周辺に出たネズミを駆除するための業者との電話でのやりとりが音声で流されている傍らで、田崎はトイレに行き、膣から月経カップを取り外し、そこに溜まった経血を流し、カップを洗浄し再び装着するまでの身体の動きを再現する。そして、その後に料理をし、食事を摂る。腕に止まった蚊を叩き、ベッドに横たわる。
この一連のシーンに本作の核心が詰まっている。そう思えるほど、非常に示唆に富んだシーンであった。月経があり、排卵があり、妊娠や不妊を経験する可能性がある体を持っているということ。人間が生物として繁殖するための装備やサイクル、その行方が示されていたこと。不要な経血の処分と月経カップの洗浄と並行して、家に出たネズミを害獣として対処すること。こんなにもさりげなく、しかし生々しく鮮烈に「生命の淘汰」が表現されたシーンはあるだろうか。少なくとも、私にとっては劇中で最も大きな意味を持つシーンに思えた。
しかし、同時にこうも思った。そもそも「月経カップ」自体を知っているか否かで、このシーンの印象は大きく変わるのではないか、ということ。それによっては、描かれていたことが伝わらない可能性もある、ということである。それこそ、「経血のついたショーツやシーツを洗う必要」がなければ、「タンパク質汚れは水で落とす」に辿り着きにくくなることと同じように。そして、それは、やはり自然なことでもある。ましてや「月経カップ」は女性の間でも十分に周知されているとは言い難いのが現状であるし、何より好みがあるので知ってはいても装着したことがない人も多くいるはずだ。かくいう私も月経カップを使用し始めたのはここ2ヶ月程のこと。長らく迷っていたのだが、本作を観て「一回使ってみよう」、「使ってからこの文章を書きたい」と思い立って購入したのであった。
そうでもなければ私は生理2日目の外出中に自分が約70mlも出血しているなんて知る由もなかった。シリコンを膣に挿入する時はそこそこ全身に力が入るのに、一度入れてしまえば装着していることを忘れるくらい違和感がないという不思議も。そして、カップに溜まった経血をトイレに流す時、ドロっとした子宮内膜の組織が下水へと続くトイレの底に落ちていくその時に「淘汰」を感じて、少しばかり妙な気持ちになることも。
だから私はこの点にフォーカスをしてこの文章を綴っている。
月経があり、排卵があり、妊娠や不妊を経験する可能性がある同じ一人の女性として。月経カップを使用する一人の観客として。そして、そういう視点から作品を見つめるレビューが一つくらいあってもいいのではないか、という意味も込めて。
melomys『ドリームタイム』は、田崎小春という人ひとりの人間史であり、生活史であり、そして人類史の一端でもあった。世界の都合や要求に合わせられなくなった命から退場を余儀なくされる。そのことは今こんな風に立ち止まり、あるいは動き続ける体で考える必要があるのかもしれない。祈りと弔い、そして無常と淘汰の中で、私は今日も放出し、摂取し、処分する。いのちを生き、別のいのちを食べ、また別のいのちを捨てる。月経や排卵や妊娠や不妊を抱える可能性のある体で。6時間で約70ml出血するこの体で。
